タイトル 江州音頭とは?
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江州音頭の発祥
江州音頭発祥の地の碑
 江州音頭が大成したのは明治のはじめです。しかし、その源流を訪ねれば、遠く奈良、平安の時代に遡ります。ところで、仏教のお経の節を「声明(しょうみょう)」と呼んでいますが、それは浪曲などあらゆる日本音楽の源と言われています。その流れが、「祭文(さいもん)」、「歌祭文(うたざいもん)」、「念仏踊り(ねんぶつおどり)」、「歌念仏(うたねんぶつ)」、そして「音頭」へと発展してきました。

 祭文とは、もともと山伏や修験者が神社・仏閣の祭りの中で神仏に告げる文のことです。それが室町から江戸時代にかけて祭文語りとして芸人たちの間に広がるようになりました。祭文語りは村々を訪れ、伝承物語や他国の事情を語りました。娯楽も少なくまた情報にも乏しかった時代に、祭文語りは村々でもてはやされたのです。

江州音頭発祥の地の碑
 幕末の頃、祭文語りの名人、桜川雛山に弟子入りし本格的に祭文語りの修行した八日市の西沢寅吉は、念仏踊り、歌念仏も採り入れ人気を博していました。(八日市祭文音頭)そして、明治初年豊郷の千樹寺観音堂の再建の折、西沢寅吉が招かれ、当日は彼の音頭に乗って村人たちも踊り明かしたと言われています。この音頭は豊郷・八日市を中心に近江路一帯に広がり、美濃や伊勢などにも評判が伝わていきました。そして江州音頭として定着したのです。

 西沢寅吉は歌寅という通り名で、やがて、初代桜川大龍と名乗るようになりました。江州音頭は、桜川大龍とその良き協力者八日市の奥村久左衛門、すなわち、初代真鍮家好文によって発展し、お盆の定例行事として全国に知られるようになりました。
江州音頭とは?
祭りイメージ
 祭文語りがそれにそれにあるように、座敷音頭は語りがポイントであるといわれます。五穀豊穣などの祈祷祈願を込める部分、そして、喜怒哀楽を表現する部分があります。そこには、大地に生活し実りを願い、そして、一人一人の心の訴えを語り合う庶民の歴史があるのです。

「屋台音頭(宴会の席で口演する音頭)」の広がっていく連帯の輪はふれあいを深め、「座敷音頭(宴会の席で口演する音頭)」のじっくりとした語りは、人と人との親しさを深めます。まさに、豊かな暮らしへの願いが込められた歌と言えるでしょう。

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